さばみそ日記

面白いか面白くないかは置いといて、読んだら何か言ってくれるとうれしいです。喜びでちょっと跳ねます。

先生のきれいごとは教室で実行されない。

 学校にいじめはありません。

 こう言って真に受ける人は少ないと思います。どこの学校にもいじめはあるし、いじめる人はいます。しかしこれを、こと生活態度に移すとどうでしょう。生徒というのは全ての人を尊重し、思いやりにあふれ、勉学にまじめに励むのものである。それこそが正しい生徒だと思っていないでしょうか。現実に教室を見渡せば、騒ぐ子はいるし、情緒不安定な子もいるし、頭がいいせいで授業をつまらなく感じて放棄している子もいるのに、先生はそれを自分たちの技量不足だとは認めない。生徒があるべき姿にいないのが悪いのだ、と考えてしまう。生徒が何を思っているかを感じようともしない。自分の心地よい生徒像に近づけようとしている。そんなことはないでしょうか。

 私は、生徒それぞれの特性に合わせた指導をして、子供たちを楽しく学ばせてあげるのが教師のやるべきことだと思っています。なぜなら、子供たちが学生時代に親の次に長い時間接する大人は、学校の先生なのです。その先生たちが子供に与える影響は小さくないと思います。そして現状、生徒の特性に合わせた指導ができる教師は少ないのではないでしょうか。

 もちろん自分の学生時代にも、この人はいい人だな、と思うような教師はいました。彼らのことは非常に尊敬していますし、今も連絡を取り合っています。ですが、どの先生も授業はつまらないことの方が多かった。いつも工夫を満載に楽しんで授業をさせてくれるような先生はいなかった。どんな授業が一番かいいかなんて決めることはできませんが、少なくともいくつかの科目はその授業のつまらなさのせいで嫌いになったと言っても間違いではありません。

 学校の先生は、正解を知っているだけではいけません。子供たちの特性を見抜き、良さを伸ばし、ダメなことをダメだと理解させなければいけません。

 私は、先生にも多様性はあってしかるべしだと思っています。ジャージでくる先生がいたっていいし、ものすごく厳しい先生がいたっていいし、弱さを抱えた先生がいたっていいのです。社会に出ればいろいろな人がいます。だからこそ、彼らは学校で多様な人々と出会い、それぞれの違いというものを身をもって感じ、いい方向へ導かれていくために、先生にはその場を治める指導力をもっていただきたいのです。f:id:miz-awesome-ic-champ:20170725043528p:plain

 先生というのは、ただ哲学者であるだけではいけません。ある部分では人々の意見を折衝しながら前に進める政治家でなければいけません。

 

これからの日本を背負うのは子供たちです。そして最前線で彼らとともに生活し、自分の生活を犠牲にしてまでも彼らのために一生懸命やろうとするあなたたちの仕事は素晴らしい。誇りを持っていただきたい。

だからこそ、彼らが大人になった時に、ああ、あの先生のおかげで少し学生時代がいい感じだったかも、みたいに思ってもらいたい。そのためにできることはなんだろうと考えてほしい。

元学生からの意見でした。