さばみそ日記

面白いか面白くないかは置いといて、読んだら何か言ってくれるとうれしいです。喜びでちょっと跳ねます。

ブログ休止

お久しぶりです。ちょっと色々ありまして少しブログを休むことにしました。

ちょこちょこ読んでくださってる皆さん、本当にありがとうございます。スターつけてくれるみなさん、みなさんのおかげでとっても元気が出ました。

 

また元気になったら戻って来ます。またいつかお会いしましょう。

ではでは。

久しぶりの更新

お久しぶりです。

このブログを始めた時に立てた目標がありました。それは、「一日一記事」でございます。

 

しかしここのところ全くそれを守れておりません。その理由を簡単に説明いたしますと、台風を止めに行ってたんです。台風止めるのが忙しくてですね、ほんと、九州直撃だけは避けるぞと、なんとか避けさせなければと思ってですね…すみません、真面目に書きます。

 

実は台風のくだりはあながち間違いでもなくて、前回の記事でも書いたように現在福岡に災害復興ボランティアに来ております。1ヶ月ほど前から計画して来たのですが、なんとそこに見事に台風がぶち当たりまして全部の予定がパァになりました。残念でなりません。

 

九州滞在はあと3日残っているのですが、既に県外に宿を取ってしまっているので福岡滞在を伸ばしてボランティアをするのも、キャンセル料を考えると経済的に厳しいものがあります。

 

残念だけれどしょうがない。またいつか来て、しっかりとお手伝いさせてもらいます。

 

明後日の平和記念式典に出席するため、明日は長崎に泊まります。博多駅から長崎駅は、電車よりもバスで行く方が早い上に安いんだそうです。バス半端ねぇ。

自分が人間のプロトタイプだと思ったら大間違い

‪意識の高い人は、どんな人間でも意識高くいられると思っている。そして彼らは言うのだ。

 

「僕には才能はなかったけれど〜(以下略)」‬

 


‪本当に本人はそう思っているのだろう。けれども、才能もないしやる気もない人達がどれだけいるのか把握したほうがいいし、そういう人たちにこそ優しい言葉と態度が必要なのだ。

本当に辛いときに支えになるのは意識高い系のできるできる詐欺ではない。何を言われようがそばにいて、その人を見て支えることなのだ。

 

意識高い系は集まって好き勝手やればいいと思うが、わざわざこっちを見て唾を吐く必要はないだろう。こっちに来るなら少しは勉強してから来てくれ。

 

被災地ボランティアへ

 2011年3月11日に起きた東日本大震災。死者15894人、行方不明者2550人(注)。この大災害は甚大な被害をもたらし、日本全土に大きなショックを与えました。私は何かしなければいけないと思いましたが、当時の私は現地にボランティアに行くことすらできず、たまに寄付をするだけの悶々とした日々を過ごしました。そして約一年後の一月初旬に仙台市にボランティアへ行き、がれきの撤去を手伝わせてもらいました。震災があってから一年もたったというのに、全く復興は進んでおらず沿岸部は依然として荒野のままでした。そして一口に「被災地」といっても、当たり前ですが場所によって被害は全く違いました。家があり、家族があり、人々の生活がある内陸部。そこを抜けていくと、家は流され、人はいなくなり、あったはずの生活は見る影もなくなった沿岸部。そんな場所が、一年たった後も変わらず存在しているのです。これまで見つかっている死者は15894人。望み通りの形ではなくとも、家族のもとへ帰れたのでしょうか。そしていまだ行方不明のままの2550人。彼らはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。人は生きて、死ぬ。地球ができて46億年の歴史の中で、我々が生きる100年という月日は短いものです。ですが、その一つひとつにドラマがあり、意味があり、つながりがあるのです。もう手の届かない場所へ行ってしまった2550人のことをいまだ思い続ける人たちは、そのつながりを心に抱いて今日も眠るのでしょうか。

 今週末は豪雨被害のあった朝倉市へ被災地支援のボランティアに行く予定です。自然災害というのは、いつどこで起こるかわかりません。誰が犠牲になるかわからないし、もしかしたら明日、自分が被災するかもしれない。いつどこで何が起こるかわからない。それはどの時代に生きていようと変わらないことだと思います。今は台風がまた九州へ向かっています。これ以上被害が大きくならないことを願うばかりです。

注釈:2017年6月4日警視庁発表情報

世界はお湯と水が混ざり合う場所

冷たい場所はめちゃくちゃ冷たいし、あったかいところは超あったかい。誰もが冷やされ、温められる。温かくしてたいし、温めたい。

 

たまに氷がぶつかってくるから気をつけないと。相当時間をかけないと温まりませんし、そもそも溶けませんし、もはや何かするのはほぼ不可能です。とっても時間があるときか、それを仕事にしているとき以外は避けましょう。

 

冷たい場所に行くときは、いつでも行けるあったかい場所を事前に確保しましょう。そうでないと自力では戻ってこれなくなります。

できればあったかいものを携帯していきましょう。モノじゃなくても、心にしまってあるものでも大丈夫です。

努力は報われないことの方が多いけどやってみないとわからない

 今日は自分の今の状況を書こうと思います。

 私はあるスポーツをずっとやっていて、プロになるためにこれまでの人生の全てを捧げてきました。中学高校の学校行事はすべて試合を優先していたため参加せず、友達と遊ぶよりも体作りの自主トレーニングや休養、そして練習のために時間を使ってきました。練習に関しても、多少の熱や体のだるさではもちろん休まなかったし骨が折れても何とか固定してプレーしました。どんなにつらくてもトレーニングはやめず、将来はこの努力が報われるんだと思って常にどんな代償も払ってきました。ただ、自分には才能が足りなかった。どうしても埋められない壁があった。全ての人が努力で何とかなるわけないのはよく考えればわかることです。正直、こうやって書いている間も心が苦しい。これは自分を正当化しているだけなんじゃないか。本当は才能なんかなくたって、誰でも努力で頂上までたどり着けるんじゃないか、という思いが脳裏をよぎることもある。だけれども、私は声を大にして言いたい。人間にはやれることとやれないことがある。ただそれはやってみたからこそ肚の底からわかることでもある。私はここまで疑わずにやってきて多くのものを得ました。常識を打ち破ること。現実を見ること。問題には常に解決策があること。逃げという解決策もあること。私はここまでの人生に悔いはありません。明日死にますと言われたらそりゃあもっとあれもこれもやりたかったなとは思うでしょうが、それなりに満足して死ねると思います。

 話は変わりますが、独身ニート恋人なしほど執着するもののない状態も珍しいかもしれないと、自分がなってから思うようになりました。生活費が一人分ならリスクも一人分。安心や喜びみたいなものも一人分なのかもしれませんが、そのあたりが二人分になる感覚はよくわかりません。最近ぼーっと考えていると物事が恋愛に行きつきます。友達がいま付き合っている彼女は両親が離婚し、父親が母親に暴力を振るうのを見て育ってきたため男性に対して恐怖心を抱いているそうです。その話を聞いた友達は、自分がこの子を幸せにしてやらないといけないと思ったそうです。なんかいいですよね。そういう経験したことないな。これまでやってきたことについては勉強にしろスポーツにしろ劣等感を味わいつくしてだいぶ慣れた感があるのですが、こと恋愛に関してはまだこっぴどくふられたりよくわからん喧嘩で別れたりとかそういう経験が皆無のため、食わず嫌いでビビっております。これからは非常に大変な思いをすることになりそうです。何か新しい一歩を踏み出す大変さを痛感します。それでも日常は続きますね。皆さん良い一日を。

こまごま書きました。

国産牛肉とアメリカ産牛肉、どちらを買いたいですか

 日本はもっと自分たちに誇りを持つべきだ。自分たちが何であるかを思い出していく作業をしていくべきだ。どこに住み、どんな物を食べ、何をこれまで成し遂げてきたのか。そしてどんな失敗をしてきたのか。それを見つめなおすことは、自分の人生を見つめなおすことにもつながると思う。

 

なぜ生きるのか

 生活することの意味。自分はなぜ生きているのか。何のために生きているのか。

 私は、自分が生まれたこの世界の中でよりよく生きることに興味がある。よりよく生きることを目指す姿勢は、私に精神的な安定をもたらしているし、満足感を与えている。

朝から晩まで満足して生活しよう

 私は必ず死ぬ。だから、自分が何か大きな人間だとは思わない。この世に生まれ、死んでいく。ごく当たり前のことだ。だからこそ、目の前の一瞬を満足して生活したい。それこそが今の私にできる精いっぱいであり、次の瞬間死んでも構わないような人生を送るための、最善の方法なのではないかと思う。

今までの人生で一番わからない事

 恋愛が全然わからない。普通の人付き合いとどこがどう違うのか。友達に言われたのは、「お互いに好きだと思って、もっと一緒にいたいと思ったらいる時間が長くなる。それでいいんだよ。お前は深く考えすぎだ。」ということ。深く考えないにはどうするかを深く考えてしまう。とにかくいい機会だからいろいろ試すべきなんだろうな。ハァー…。